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わざわざぶつかりに行かないで

  • 執筆者の写真: 椿本 千詠
    椿本 千詠
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

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椿本千詠(つばもとちえ)です。





今回は、私の考える「ニュートラルポジション」について、具体例を交えながらお伝えします。





時間が無限にあるならまだしも、私たちのエネルギーには限りがあります。だからこそ、必要以上に消耗することに使うのは、もったいないと感じるのです。





たとえば、私は誰かに「ん?」と思うようなことを言われても、真正面から言い返すことはしません。





特に相手が聞く耳を持っていないと感じたときは、わざわざ時間と労力を費やすのはやめます。ただ疲れるだけだからです。





人にはそれぞれ、生まれ持った性質や体質、育った環境、価値観があります。それが違うのは当たり前。同じ物事でも立場によって見え方が異なるのも当然です。私の方が正解ですと主張しても全く意味はありません。





だからこそ、考え方が違うと感じても、相手の「土俵」にいるときは、深く踏み込みません。もちろん、仕事上必要であれば確認はしますし、自分の価値観に大きく関わるときには、はっきり伝えることもあります。





でもそれ以外は、あえて言わない。教えてあげない(笑)





でも、人間だから気にしないようにしていても、はあ?ってなる時はあります(笑)

そういう時は、心の中で「頭悪いな」「性格悪いのかな」「機嫌が悪いのかも」と内心ツッコミつつ、決して口には出しません(笑)





もし本当に無理だと思えば、その仕事を辞めることも選択肢のひとつです。仕事は人生のすべてではありません。世の中には他の選択肢がいくらでもあります。





「これしかない」と思い込んでいるのは自分自身。だからこそ、自分の大切な時間=命を、もっと自分のために使っていいんです。





一方で、相手が大切な人であれば「こういう考え方もあるよ」と伝えることはあります。でも、それをどう受け取るか、実際に選ぶかどうかは相手次第。私が決めることではありません。





誰かに「あなたの方が正しい」と認めてもらう必要はありません。




先日、電車の中でこんな光景を目にしました。電車にリュックを背負った人が乗っていました。





その時間、電車は空いていました。そのリュックを背負った人に対して、ある乗客がわざわざ近くを通り、リュックが邪魔だと態度で示していたのです。





リュックを前に抱えるのがマナーだと言われることもありますが、必ずしもそうでなくてもいい状況もあります。





ぶつからずに通れる道がいくらでもあるのに、なぜわざわざイライラする選択をするのだろう?と不思議でした。





常識も国が違えば異なります。日本は一夫一婦制ですが、イスラム教徒など一夫多妻制の国もあります。というか日本も昔は一夫多妻制でした。良いとか悪いとかそういうことではありません。





タバコを吸うと癌になると言われていますが、ならない人もいます。その情報がその人に当てはまるとは限りません。





そして、その人がタバコが体に良くないとわかっていてもタバコを吸いたいのなら、それを他人が止めることはできません。その人の人生です。





他人を見張ったり、注意したりする時間があるなら、そのエネルギーをもっと自分のために使いませんか?





問題が大きく見えるときほど、私たちは視野が狭くなっています。電車の例もそう。少し離れて見れば、回避できる方法がいくつもあったのに、なぜか自分から衝突の方向へ進んでしまう。





少し視点を変えてみるだけで、「問題だ」と思っていたことが、実は大したことではなかったと気づくこともあります。





違う価値観をわざわざ否定するのではなく、「そういう考え方もあるよね」とする姿勢。





そして、自分の時間と心のエネルギーを、本当に大切にしたいものに注ぐこと。それが、私の考える「ニュートラルポジション」です。





何かヒントになったら幸いです。




















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© 2021 Lei Lani / Chie Tsubamoto

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