top of page

Blog

それでも、その人のその尊さが変わるわけもなく



椿本千詠(つばもとちえ)です。





気をつけてという言葉は

気をつけなくてはいけない事に

フォーカスさせるから、

「気をつけて」と声をかけない方がいい

と聞いたことがあります。





確かに一理あると思いますが、

それを覚えているということは、

私の中に違和感があるということ。





私は「気をつけて」と

声をかけてくれた人の

優しさにフォーカスしたいのです。





家族など身近な人はもちろん、

他人のことを気づかえる人でいたい。





例えば今日歩いていて

工事現場の前を通りかかった。





「気をつけてお通りください」

と声をかけていただく。





本当にありがたいことだと思う。

感謝しなきゃとかじゃなくしみじみと。





暑い日も寒い日も雨の日だって

そこに立って気をくばっていてくださるから

安心して通ることができる。





その人はその工事の事は

私なんかより明らかによく見えている。





仕事だから当たり前だとは全く思わない。





実際に身体を使ってしてくださることが

あたりまえではなく、ありがたし。





だから目を合わせて、ありがとうございます

とそこを通る。





他人のことを気づかえる、

他人に寄り添える人を尊敬する。





時に他人に寄り添ったことで

自分が傷つくことがあるかもしれない。





それでも、その人のその優しさの

尊さが変わるわけはない。





人にはそれぞれ個性や役割がある。

何も変える必要なんかない。





そして、何でも全ての人に伝わることは

ありえない。





誰かに何かを証明するために

生きているわけじゃない。





あなたがあなたでいることで

確実に勇気づけられている人がいる。





それだけじゃダメですか?



















閲覧数:40回

最新記事

すべて表示
bottom of page